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梅と鶯の思い出

梅と鶯の思い出

老人ホームに入る前の我が家の裏庭には梅の木が一本あった。いつからあったかははっきりした記憶はないが、恐らく8、90年前からある老木であろう。
最近は庭の南側に隣接している竜津寺という寺の墓地拡張の為樹木を伐材したためかここ4、5年はあまり聞こえなくなったが、その前は梅にとまっていたのであろうよく春になるとホウホケキョウと言う鶯の声を聞いた。然しそれは梅が咲き始める二月末よりずっと遅い四月に入ってからの様な気がする。他の事は大部分忘れたが、鶯の鳴声だけが印象に残っている。その頃私は多摩をテーマにした趣味の写真の撮影に熱中しており春を告げる行事のように2月の末になると日野市の百草園の紅梅を見に行き3月10日頃になると調布市の神代植物公園の梅林を撮影を兼ねて見に行き、好物の甘酒の値段を比較したりした。確か百草園が200円神代植物公園の売店が一杯300円で後者の方が高かったのを覚えている。そして3月20日前後に一番開花が遅い吉野梅郷に行った。日向和田の駅を降りて多摩川の橋を渡るとすぐ梅郷の入り口であった。昔は吉野梅郷は農家の庭に梅がたくさんあるだけであったがその後青梅市で丘陵地帯に梅を植えそれが見事に成長して農家の庭の梅を融合して多摩第一の梅郷を形成していた。

吉野梅郷の春 平成13年3月26日 青梅市 吉野梅郷
吉野梅郷の春 平成13年3月26日 青梅市 吉野梅郷

 

その後都区内の「湯島の白梅」で有名な湯島天神へも行ってみた。湯島天神の梅も勿論素晴らしいが、ただ境内から遠望する東京のビル群が何か境内の見事な梅と調和しないような気がした。多分江戸時代には境内はもっと広く周囲も木造家屋が中心で梅と周囲風景との調和ももっと良かったろうと残念に思った。東京の風景でも、妻の弟の奥さんの葬儀に参列した帰路、親戚の車で妻と一緒に御堀をへだててホテルオークラのあたりを通過した時、後に見えた灯火がついた東京タワーの夕景が周囲の都市の景観とよく調和して都市美とはこういうものだなと深く印象づけられた事がある。
湯島天神と較べると吉野梅郷は奥多摩の山々にかこまれて青梅の街が遠くに見えるのが良く自然と調和している様に見えた。
私は吉野梅郷へ行くたびに梅郷を出ると吉川英治記念館により、更に近くの即清寺をみて日向和田の駅から青梅線に乗って帰路につくのが通例であった。吉川英治記念館は戦前のベストセラー小説宮本武蔵の作者吉川英治氏が戦時中ここに疎開し、戦後もしばらく住んでいて「新平家物語」を執筆したと言われる邸宅をそのまま残し記念館を増設したもので、庭には見事な梅や欅などが広い邸内に整然と配置され、邸内には彼が小説を執筆した部屋もそのまま保存され彼が授与された文化勲章や彼が執筆した小説の数々、その英語訳をはじめ様々の国の言葉に翻訳された執訳本が並べられ、始めて行った時には強い印象を受けた。その後何回か足を運んでいるうちに梅郷の入口の橋を渡って少し行った所に紅梅苑と言う喫茶店と土産物店を兼ねた様な店が出来た。店の北側は駐車場になっていたが店の前後に植えられた紅梅が美しく紅梅苑と言う名にふさわしい店であった。アマチュア写真家の私はこの店の前を通る梅郷の見物客をテーマにしたスナップ写真何回も撮影し新聞社の主催する写真コンクールに入選した事もあったが自分が満足する様な写真は撮れなかった。

紅梅苑前 平成6年3月20日 青梅市 吉野梅郷
紅梅苑前 平成6年3月20日 青梅市 吉野梅郷

 

ただし何回かコーヒーを飲んだり、土産物を買ったりするのに紅梅苑に出入りした時、店員に混じって働いている三十代の後半の感じの人妻らしい人が居た。後で聞いたらその人が吉川英治氏の奥様だと教えられた。その後二、三回はその奥様の姿を見掛けた事があったがその後は見掛けた事はなかった。
吉川英治氏は若い時に赤坂ヤスと言う恋人がおり一緒に暮らしておられたが、いろいろ経緯があり結局別れて四十才代になってから歳の離れた現在の夫人と結婚されたときいている。私にはその若々しい人妻の姿と紅梅苑の前と後の紅梅の美しさが印象に残っている。
吉野梅郷の花が開く3月中旬頃には警視庁の騎馬隊や音楽隊も出演して紅梅苑のある通りを練り歩き賑やかであった。吉川英治さんも亡くなられ歳の離れた奥様も亡くなられたと聞いたが、紅梅苑を作られたのは奥様の発想で現在でも奥様の甥に当る人が経営に当っているとのことである。
最近聞いた話では青梅市で丘陵地に造った梅林に害虫が蔓延して市は止むを得ずせっかく出来上がった見事な梅を切り倒しているという。老人ホームに入っていても気になる話である。
「梅にうぐいす」に関する思い出には楽しく美しい話が多いが、唯一つ私の思い出の中に楽しくない話がある。それは御嶽山へ行った時の事である。その時は御嶽山に登り御岳神社に参拝した時ついでに「七代の滝」へ行こうとした所、滝へ降りる道から覗いて見ると滝は遥か下に見えた。その時は登山ではなく撮影が目的であったので滝まで降りて又元の道まで登るのが大変だと思ってこれを断念し日の出山を通って五日市に降りる尾根伝いの道を選んだ。午後三時頃であったろうか五日市の城山と言う所まで下りた時「うぐいす」の鳴き声を聞いた。鳴声から想像すれば数十羽、その鳴き声は喧しくその時ばかりは「うぐいす」の鳴き声をうるさいと感じた。「うぐいす」の鳴き声をうるさいと感じたのはこの時一回だけだが、やはり梅に留まる「うぐいす」は一、二羽がよいのかなあとつくづく感じた。
私は92才、妻は88才になったが庭の梅は本年も咲いたろうかと何となく気になる今頃である。

2016-04-21 16:17:00

榎本良三のエッセイ