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神代植物公園と深大寺

神代植物公園と深大寺

 調布市の神代植物公園から深大寺への道は私の好きなコースの一つだ。
 毎年春になると私は2月末から3月始めに多摩で一番早く紅梅が咲く日野の百草園に行き、3月10日頃に神代植物公園の梅園を見に行き、そして最後の3月下旬に青梅線の青梅から二つ先の日向和田駅で降りて吉野梅郷の梅を見て、それから桜の季節を迎えるのが常だった。
 その百草園と神代植物公園では甘酒を売っていて、百草園の方は200円で神代植物公園の方は400円だったと記憶している。甘酒のおいしい点ではどちらも同じだがやはり都心に近い方が値段が高いのかなあなどとつまらない事を考えていたのを覚えている。

調布市神代植物公園 平成6年3月(1994年)
調布市神代植物公園 平成6年3月(1994年)

 

 三鷹駅から京王線調布駅行きのバスに乗ると、たいがい30分位で神代植物公園前の停留所についた。公園では4月には躑躅、5月には薔薇、6月には牡丹や芍薬、池には睡蓮などが私達の目を楽しませてくれる。

睡蓮の池 平成8年6月(1996年)
睡蓮の池 平成8年6月(1996年)

 

そして公園を一巡りして多摩では数少くなった雑木林を通りぬけると公園の出口があり、そこを通りぬけるとすぐ前にそば屋がたくさんならんでいて、さらに坂を下りると途中の動物の墓地などがあり、その坂を下りると深大寺の前に出たように記憶している。
 昭和28年(1953)頃から多摩をテーマとして郵便局長としての仕事の傍ら、日曜日などに写真を撮して来た私は、普通の市街地でやたらに写真を撮るわけにもいかないので自然に多摩の古寺巡礼や公園めぐりをするようになった。公園の中では井の頭公園、神代植物公園、そして少し後れて出来た昭和記念公園などが私の最も好きな場所だったが、公園に咲く花々の中で私はどちらかと言うと梅・桜・つつじ・睡蓮など日本的な花が好きだった。西洋的な花もきらいではなかったので植物公園のバラ園や牡丹園にも良く行った。平成8年6月3日牡丹園で撮影した作品を平成8年(1995年)10月5日から一週間、立川駅ビル「ウイル」(現ルミネ)9階の立川朝日ギャラリーで個展を開き、その中で「牡丹園スナップ」と言う題名で展示した。幸い立川駅ビルと言う便利な場所なので多くの人に見て頂き多くの友人にも会えてとても幸せだった。個展の題名は「多摩の表情」と言う題であったが個展が始ってから三日目、私がたまたま受付近くにいたところ、一人の40才代位の女性が帰り際に「あの写真は牡丹ではなく芍薬ですよ」と言って嬉しそうな勝ち誇ったような私の花の知識のなさをあざ笑うような顔をして通り過ぎて行った。私は突然の事でただ黙って見送った。私は「牡丹園」で写した写真という意味で牡丹か芍薬かはあまり関心がなく牡丹園に芍薬も季節によって咲いている事は知っていたがその時はただ呆然としていた。

「牡丹園スナップ」:牡丹園の芍薬 平成8年6月(1996年)
「牡丹園スナップ」:牡丹園の芍薬 平成8年6月(1996年)

 

 あれから20年余り経ったがあの人の顔は不思議によく覚えている。ほかの人の顔はほとんど忘れてしまったが世の中には妻や恋人、親しい知人でなくても顔を覚えていることがあるものだなあとつくづく思っている。
 前述の様に植物公園を通りぬけると天台宗の古刹深大寺がある。深大寺の事は多摩で唯一の白鳳時代の仏像がある事で有名である。
 ここには昭和36年(1956)神代植物公園が開園する前、郵便局長の会議で一度深大寺前のそば屋の2階に来た事があった。会議終了後短い時間深大寺に訪でたが、その時は白鳳時代の仏様も他の仏像と一緒に本堂に安置されていた気がする。またそば屋さんも瓦屋根の古い家で、後にある池にも朱塗の古い橋がかかっていた。これらが一体となって静かな佇まいであったが、その次に行った時には白鳳の仏様は立派な新しいお堂にガラス越しに見える様に飾られ古いそばやさんも新しい洋風建築に変り、そばやさんの後の池に架かっていた橋なども新しく造り変えられ深大寺の前には土産物店や食べ物店などが並んでいた。そして深大寺の表門の前は大勢の人で賑っていた。

休日の深大寺前 平成8年6月(1996年)
休日の深大寺前 平成8年6月(1996年)

 

 昔の雰囲気と変って少し寂しい気もしたが、しかしそれは恐らく神代植物公園が開園して深大寺と公園が雑木林の道によってつながれ、訪れる人の数が増えた事によるものだと思う。
 然し何故白鳳時代の仏様があるのか、それは寺が何回も火事で焼れたためその由来を知る様な書類も言い伝えも何一つ残っていないそうで、一種の謎である。
 白鳳時代と言えば飛鳥時代と天平時代の中間に当り壬申の乱に勝利した天武持統朝で天皇の権威が確立し、律令の制定・古事記・日本書紀の編集の開始・万葉歌人の輩出・仏教美術の興隆など初唐の文化の影響の下に力強い清新な文化が創造された時代である。我々は今日でも1400年前の古事記の古い伝説や数々の万葉集の名歌を読み完全に復元された薬師寺の講堂に安置された薬師三尊をはじめ優れた仏像を見る事が出来る。私が若い時古代文化へのあこがれから熟読した本の一つに「万葉の時代」と言う本があり、その第一章は白鳳人の創造と言う題名が付けられていた。
 それにしても私が行くたびに深大寺の表門の前に集まる人の数は増えていった。たしか松本清張が社会派推理小説の道を拓いた作品の中で深大寺の表門が男女の約束の場として描かれていた様に記憶している。四季の美しい花々と雑木林と白鳳の仏像を持つ古い寺、この私の愛する道がいつまでも人々に愛される事を私は心から願っている。

2016-10-27 17:19:00

榎本良三のエッセイ