多摩川は、上流は本流の奥多摩渓谷と支流の秋川渓谷に分れているが、昭島市拝島町と福生市熊川町の境附近で支流秋川と合流する。
奥多摩渓谷沿いには奥多摩街道が造られ、熊川・福生・羽村・青梅・沢井・御嶽等の村々が展開していた。一方支流の秋川には五日市街道が造られ二宮・牛浜・伊奈・五日市・檜原等の村々があった。現在は奥多摩街道に沿ってJR青梅線が、秋川渓谷沿いにJR五日市線が走っている。
風景だけ言えば本流の方が美しいが、夏になると奥多摩渓谷の方は小河内ダム(奥多摩湖)より流される水が冷たいので、子供連れの人は五日市駅前の水遊び場や乙津バス停附近のキャンプ場や水遊び場・鱒釣場などに集っていた。私は、子供が小さい時は子供を連れて、子供が大きくなると若い時から凝っていた写真の撮影に、青梅線や五日市線に乗って奥多摩や秋川によく出掛けた。青梅線は明治の後半に、五日市線は大正の終りに開通していた。
その五日市線の五日市駅の一つ手前の増戸の駅を下りて25分位歩くと、立派な塀が長く続き、立派な門の前に出る。そこが大悲願寺の門前であった。
大悲願寺の門前 昭和57年9月(1982年) あきる野市
その門は仁王門で、中に入ると正面に観音堂があり、門の東側に鐘撞堂があった。観音堂の東側には長い建物があり、内部は広い講堂で庫裡が東側につけられ、前庭には秋になると白い荻が庭一面に咲いていた。
白萩 昭和57年9月(1982年)あきる野市横沢 大悲願寺
大悲願寺は1191年(建久2年)創立で、始め吉祥院と呼ばれていたが江戸時代には悲願寺、明治になってからは大悲願寺と呼ばれる様になったという真言宗の寺で、奈良の長谷寺の系統に属し末寺30あまりを擁する僧侶達の修業の場であったという。
青梅線・五日市線沿いのいわゆる西多摩地区は広い地域なので、いくつもの立派な寺があるが、大悲願寺が特に有名なのは江戸初期のちいさなエピソードのためであることが大きい。
そのエピソードとは伊達正宗とこの寺とのかかわりである。伊達正宗は独眼流と称して父の後を継いで奥州を制覇し、天下統一の野望を抱いていたが、豊臣秀吉に先行され、秀吉の小田原城攻めに遅参して辛うじて許されて秀吉に従い、関ヶ原戦後は家康に従って関ヶ原の戦いおよび大阪夏の陣に功をたて、仙台62万石を領して東北の中心都市仙台の基礎を築いた。
その正宗が江戸屋敷にいた時、たまたま大悲願寺の住職をしていた弟小次郎に会いに行ったが、その時見た白萩の美しさを忘れられず、所望状(白萩文書)を送って部下に命じて萩を取よせ、仙台に持帰って青葉城内に植えたという。それは住職さんの話では現在の仙台にある萩と同じものだという。所望状は、日付はないが1623年(三代将軍家光が将軍になった年)頃と推定され、現在は講堂に額に入れて飾ってあるという。江戸初期と言えば、徳川家康による天下統一まで常に血なまぐさい合戦に明け呉れていた戦国時代がようやく終った時代であり、伊達正宗も戦国時代を生き抜いて来た一人である。戦国時代には勇しい合戦の場面の陰に、例えば武田信玄が攻め滅ぼした敵将や兵達の八百の首を攻め落した城の城壁にならべて掛けたとか、大阪夏の陣で豊臣家が滅亡した時、大阪城中にいた婦女子や城の近くに住んでいた住民に対する徳川軍の大虐殺などが行われたなどという陰惨な事件があったといわれており、その事件を描いた「大阪夏の陣図屏風」が残っているという。又この時期のすこし後にはキリシタン禁制によるキリシタン信者の大虐殺があった。大阪夏の陣図屏風に描かれる絵は、逃げ惑う城方の女性達や城下町の町人達の悲惨な姿を描いており、時代は違うがスペイン動乱において、フランコ軍とそれを支援するドイツ軍による都市無差別爆撃(ゲルニカ爆撃)が多数の死傷者を出し、事件に衝撃をうけたピカソが描いた名作「ゲルニカ」に比せられている。
このような戦乱のすさまじい事件の多いなかで、この白萩の所望状の小さな美しいエピソードは私の心を深くとらえていた。私は昭和57年(1982年)頃から秋になると撮影のためこの寺を訪れた。そして美しい白萩を撮ろうと思った。然し何回いっても朝出掛ける時晴れていても寺につくと雨が降っている時が多かった。結局いい条件で萩を撮す事が出来ず思ったような白萩の美しい作品が出来なかった。
丁度その頃大田ひろみの「木綿のハンカチーフ」と言う歌が流行し、それに続いて「九月の雨の事を歌った」歌を彼女が歌っていたが、その歌の一節をまねして私も「セプテンバー、レイン、レイン、九月の雨は冷くて」と歌いながら増戸駅から家に帰った。
つたない作品ではあるが私の写真集「素顔の多摩」には雨の日の白萩の写真が収録されている。なお五日市周辺の白萩と現在の宮城県にある白萩とは別種類のものだなどと書いてある辞書もあるが、ここでは住職さんの言葉を信じたい。
2016-12-27 17:30:00
榎本良三のエッセイ