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吉祥寺と井の頭公園

吉祥寺と井の頭公園

 私は父から教えられた写真を70年以上やっている。郵便局へ勤めていたので写真を撮ると言っても主に日曜日に限られるといった制約があり、有名な観光地などはプロの写真家がたくさん撮影しているので、撮影区域を半日程度で行ける東京都多摩地区に限定して写真を写して来た。ただ若い頃から木村伊兵衛や土門拳の影響を受けて、いわゆる芸術写真でなく平凡な市民の暮しを通じて時代を記録することを目指して来た。しかし平凡な市民の暮しを写すといっても、カメラを持っていること自体が珍しいような時代に街を歩きながらやたらに写真を写していて、あの人は暇人だなどと言われるのがいやだったので、自然と神社や仏閣・公園などが多くなり、多摩の古寺巡礼や公園めぐりが出来てしまうようになった。その公園の中で私が最もよく行ったのは井の頭公園である。
 撮影の対象として、男性は服装が単純なのでどうしても女性の美しさや小供の可愛さが中心になる。また公園でも、日曜や祭日は人が多くても平日はがらんとしている所が多いが、その点井の頭公園は吉祥寺の街が東京で一番住みよい街と言われるだけあって、いつ行っても適当に人がいて撮影しやすい。特に読書を楽んでいる人や男女のカップルが多い。

平成15年10月(2003年)武蔵野市井の頭公園
平成15年10月(2003年)武蔵野市井の頭公園

 

平成15年10月(2003年) 井の頭公園
平成15年10月(2003年) 井の頭公園

 

写真仲間で井の頭はカップルの聖地などと言っているのを聞いた事があるが、最近聞いた所では一緒にボートを漕いだ男女は必ず別れると言うジンクスがあるそうだ。

平成12年6月(2000年)  井の頭公園
平成12年6月(2000年)  井の頭公園

 

 井の頭公園は吉祥寺の駅の南口から12.3分いろいろな店が立並んだ道を行くとすぐ公園の入口で、入口のすぐ目の前が弁天池で大きくもなく小さくもなく丁度良い位の大きさの池である。池の西側には大盛寺というお寺の本堂が見え、ここに弁天様が祭られている。私はいつも弁天池の真中にある橋を渡ってから周囲を一周して写真を撮るのが常だった。池の廻りの林は春は桜が美しく、秋には紅葉が美しい。

平成14年10月(2002年) 井の頭公園
平成14年10月(2002年) 井の頭公園

 

 この池は慶長8年(1603)関ヶ原の合戦に勝利した家康が江戸に幕府を開いた時、大田道灌の築いた江戸城の周辺は埋立地が多く井戸を堀っても海水が混入して飲めないので、都市としての水道を整備するため神田上水を導入し、その水源として井の頭池の涌水を水源としたのでも知られている。神田上水はその後神田、日本橋、京橋等の飲料水を供給し1652-53年(承応2-3年)玉川上水が出来てからも相俟って江戸時代を通じて大江戸の飲料水を供給していた。井の頭と言うのは井戸の源になる水のたくさん涌いている所と言う意味で三代将軍家光が名付けたと伝えられている。
 吉祥寺と言う駅名の由来は、江戸時代このあたりは神田駿河台にあった吉祥寺と言う寺の寺領であり吉祥寺の学門所に学ぶ為集った僧たちの食べ物を作る畑が広がっていたが、明暦8年(1657年)の明暦の大火のため被災した人達が移住して来てこの地を吉祥寺村と呼んだのが初めで、その後関東大震災や東京大空襲の後人口が急増、農村から住宅地へと変貌した。寺はその後本駒込に移ったという。
 私はいつも駅を降りると井の頭公園に直行し撮影を終えると吉祥寺駅に直行して帰路についてしまうのであまり南口の事も良く知らないが、近くに歌舞伎の世襲制度に反旗をひるがえした人々が設立した前進座劇場があった事は知っていた。北口の事は降りた事がなく何も知らない。都心に近い利便さを生かした、二つの道路をはさんで多摩で最大の商店街があり、住宅街へと続き、さらに北へ行くと五日市街道に面していたと言う。

平成14年11月(2002年) 吉祥寺駅前
平成14年11月(2002年) 吉祥寺駅前

 

2017-02-24 17:44:00

榎本良三のエッセイ