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青梅市の地名の起源と平將門のこと

青梅市の地名の起源と平將門のこと

  JR青梅線青梅駅から10分位歩くと、しだれ櫻で有名な金剛寺がある。私は何回も行ったが、ある時そのしだれ櫻の大きな枝の一本が折れてしまっていた。私はとても残念に思ったがその後どうなったかは知らない。確か青梅線をはさんでもう一つの寺、梅岩寺のしだれ櫻と並んで二つの名木と言われ、櫻の時に行く人はたいていその二つの名木を見に行くのが常だった。

平成15年(2003年)青梅市金剛寺
平成15年(2003年)青梅市金剛寺

 

そのしだれ櫻の右側に平將門手植えの梅の木がある。一見何の変哲もない普通の木だが、その梅は青い実がなってもいつまでも熟さないので青梅と呼ばれ、現在の青梅市の地名の起源となっている。私は1200年も前に植えられたその梅の木が何代目の梅かよく解らなかったが、その梅が本当に青い実のまま熟さないのをかねてから疑問に思っていた。そこで青梅市郷土博物館の学芸員の方に思いきって聞いてみた。そうしたらそれは事実で、一種の変種ではないかと言われて今も梅は青いままで熟さないと言う。またその梅は平將門が藤原秀郷と平貞盛に討たれた時、將門の部下達が青梅に逃れて落人となって、この地に住みつき、植えたのではないかと言う話であった。

平成4年(1993年) 5月 青梅市
平成4年(1993年) 5月 青梅市

 

  平將門は右大臣から太政大臣となった藤原忠平に仕え検非違使(都の治安をつかさどる大役で強い権力を持っていた)を望んだがかなわず憤慨して関東に赴き、伯父平国香を殺して近国を侵し、やがて935年に將門の乱を起して朝廷に反逆した。(承平5年)そして939年には下総猿島(さしま 千葉県北部)を攻略してここに居館を建て文武百官を置き新皇と称して関東に威を振ったが京都朝廷に忠実な藤原秀郷・平貞盛の連合軍に討たれて殺された。その首は江戸の中心まで飛んだと言われ、今でも千代田区大手町に首塚があり後世その霊魂が広く信仰の対象になっている。
その一つに、現在千代田区外神田にある神田明神の祭神になっていることが挙げられる。朝廷に反逆した平將門が祭神の一人となっているとは考えられない事だが、神田明神の祭神大己貴命(おおなむちのみこと)小彦名命(すくなひこねのみこと)の二人の日本神話の神様と共に平將門が祭神となっているのだ。
  神田明神は730年創立1616年現在地に移転したが、將門は早くから祭神として祭られていた。千代田区外神田にある神田明神は、江戸時代には天海僧正の創立した上野の東叡山寛永寺の守神である赤坂の日枝神社と共に、広く民衆に信仰され、その祭りは天下祭りと呼ばれ神輿巡行、山車の上の踊りなど大規模に行われた。
  明治時代になって天皇の権威が高まってから明治天皇が神田明神に参拝された時、將門は逆賊であると言うので神田明神の外側に將門神社と言うものを造りそこへ將門を祭ったが、少したってから再び祭神として神田明神に祭られた。
  一方首塚は前述の様に千代田区大手町のビルにかこまれた中にあるが、たまたま何年かその祭りをおこたった折、その首塚に尻を向けて仕事をしていた大蔵省の役人を始めまわりのビルの人達が次々と変死する事件が起り、皆首塚の祭をおこたった祟りであろうと言ってあわてて祭りを復活させた所、変死する人はなくなったと言う。
  最近この地区は再開発によって数十階もの高層ビルが建設されることになったが、その建設を担当する三井不動産とビルに入ることになる官庁やいろいろな会社の幹部が話し合った結果、計画上は不便もあるがこの首塚を外に移転して、もし新しい高層ビルに災害や変事が起るような事があっては大変だと言うことで一致し、首塚はそのまま残し、祭りも継続することになったと言う。江戸の中心に近い大手町の様子は全く変っているが、神をうやまわないで祭祀を粗末にした場合変事が起るかも知れないと言う神を恐れる気持は千年の時をへだてて共通するものがある様な気がする。
  神田明神が徳川家菩提寺の守神である日枝神社とならんで江戸時代から江戸市民の深い信仰の対象となっているのは何故か。これには色々の説がある。一説によると平將門の時代、朝廷は年貢を取り立てるばかりで東国を軽視していたが、將門は東国の農民の立場を代弁していろいろな施策を行った為だと言われている。それも事実であろうが、その他にもっと東国の農民の為に尽くした具体的な事例があったのではないかと考えている。
  残念ながら私は天慶3年(940年)平將門の乱の直後に成立し、東国の僧によって書かれた軍記物の始めと言われる「しょうもんき」(將門記)もまだ読んでいないので、その疑問を解決する事が出来ないでいる。

平成12年(2000年)8月 御嶽渓谷沢井付近 青梅市
平成12年(2000年)8月 御嶽渓谷沢井付近 青梅市

2017-03-29 17:48:00

榎本良三のエッセイ