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秋川渓谷と五日市の川遊び

秋川渓谷と五日市の川遊び

 秋川渓谷にそって足を五日市まで伸すにはJR五日市線で行くとやがて終点五日市駅に着く。それから坂を降りるとすぐ五日市の町に入るが、残念ながら五日市街道の終点である五日市の街は道路が拡張され、青梅街道の終点である青梅の街の様に昔の面影が少なかったので、駅前から出るバスに乗って秋川の上流に直行するのが常だった。
 前にも書いたように、昭和32年の小河内ダム完成後はダムから放出される水が冷いため奥多摩渓谷は子供達の水遊びには適さなかったので、夏休みの水遊びの人々は海水浴に出掛けた人達もあっただろうが、川遊びに選んだ人達は皆多摩川の支流秋川に集っていた。従って五日市は夏にかぎった避暑地のようだった。たまたま秋川上流の乙津から昭島市中神の郵便局長として中神まで通勤していたKさんから、近くによい場所があると聞いていたとおり、バスで檜原行に乗って荷田子で下り2,3分歩くと、秋川の川原に出て、そこが秋川の水遊びやバーベキューの場所だった。
 そこは川幅も10メートル位で狭かったが浅い所と深い所があり、深い所ではその近くに岩があって、その下は水が深いので子供達の中には岩から飛込んでいる子供もいた。浅い所では子供や母親達が大勢水遊びをしていた。

昭和63年7月(1988年) 秋川市乙津 秋川
昭和63年7月(1988年) 秋川市乙津 秋川

 

 私はずっと写真撮影を趣味として続けていたので、夏は水着姿の女性や子供を撮す目的でよくその場所へ出掛けた。
 私は子供が小学校の時、先生の引率で一度PTAの役員として潮干狩に随行したことが有った。その時はひどい風で砂嵐が吹きつけて途中で潮干狩を中止して引揚げて来た。その時の経験から海辺は広く他の人と混じってしまって自分の学校の児童の安否をはっきり確認出来ない様な気がした。その後一度子供会の責任者として子供を水遊びにつれて行った時、私は潮干狩でなく川遊びを選んだ。Kさんが教えてくれたのはそんな場所で、すぐ上流にはバーベキュー専用の施設があり、すぐ下流の橋を渡った左側の林の中にキャンプ場もあった。

平成14年7月 五日市荷田子
平成14年7月 五日市荷田子

 

 友人のKさんの家は川の崖の上にあり夏になると毎晩バーベキューの人々の歌声が聞えて来ると言う話だった。私はよくそこで撮影に熱中していた。
ある時女性の水着姿のクローズアップが美しく撮れたと思ったが、よくよく見るとお腹が大きく妊娠中のようでもありよく解らなかったので、結局写真集には掲載しなかった。煙草を吸っている女性の大写しの写真も写したが今から4,50年前の私の感覚では私の写真集に載せることは躊躇した。又膝から少しうえ位の水位の川の流れを渡る奥さんの後を旦那さんが荷物を持ってついて行く所を撮して良い写真だと思ったが、ななめから撮したせいか出来上って見るとばかに奥さんの方が威張っている様に写ったのでそれも当時の感覚では私の写真集に入れるような気持にならなかった。子供とお母さんが水鉄砲で顔に水をかけっこをしている写真や子供同士で川遊びを楽しんでいる写真など何点かは私の写真集に納められている。又子供が岩から川へ飛込んでいる写真なども納められている。

平成14年7月(2002年) 五日市荷田子
平成14年7月(2002年) 五日市荷田子

 

 五日市にはこの外に秋川をさかのぼって行くと沢戸橋と言う橋があり橋の袂に黒茶屋と言う料亭があり、そのあたりの秋の紅葉は秋川では最高の美しさである。
 その少し上流の十里木から道が分れた所で養沢川が秋川に合流し、右側の道は養沢川沿いに、左側の道は秋川沿いに秋川最奥の町檜原村へ向う。養沢川沿いには少し行った所に川鱒(かわます)の養魚場があり養沢川に放流もしているが、養魚場の池でも素人でも釣を楽しむ事が出来る。さらに養沢川沿いの道を少し行くと三ツ谷鍾乳洞がありその奥には大岳鍾乳洞がある。いずれも地元の人によって発見されたものである。
 25年位前私は次女夫婦と孫の4人でここへ遊びに来た事がある。その時は三ツ谷鍾乳洞(石灰岩地に出来た空洞で天井に鍾乳石がたれさがり床下には石筍が林立する)に入りマス養魚場の池でマス釣りをし、沢戸橋近くの黒茶屋で食事をして帰った事があった。
 私は鍾乳洞の鍾乳石に頭をぶっつけ傷を作ってしまいやっとの事で鍾乳洞の奥迄行って出て来たが小学校に入ったばかりの孫は軽々と鍾乳石や石筍の間を通りぬけて奥まで入って出て来た。その身軽さと運動神経の良さに私はびっくりすると同時に頼もしくも思った。

平成12年3月(2000年) 増戸弁天山
平成12年3月(2000年) 増戸弁天山

 

 又養魚場の池にはアメリカから明治34年(1901年)に移入し養殖されたマスで紅い斑点がありひれが白い川鱒がたくさんいて、釣糸をたれると私もよく釣れたが孫も私と同じ位よく釣れた。今でも思い出に残る楽しい旅だった。

2017-10-23 09:53:00

榎本良三のエッセイ