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昔の季節の行事の事

昔の季節の行事の事

幼い頃の年中行事はいろいろあったが、戦後大部分はすたれてしまい、替ってバレンタインデーやクリスマスなどのキリスト教に関係があるような行事が盛んになった。従って大部分は忘れてしまったが、記憶に残っているものも少しはある。その一つは花祭りであり、もう一つは9月15日の十五夜である。花祭りとは仏教の行事で、4月8日は御釈迦様の誕生日と言われ、その日はすぐ近くの菩提寺の龍津寺へ行った。

花祭り 昭和48年4月8日(1973) 龍津寺 拝島町
花祭り 昭和48年4月8日(1973) 龍津寺 拝島町

 

本堂へ登る木の階段の5段のうち4段目位にお寺で飾った小さな仏像とその上部左右を季節の花で飾られた四角な入れ物があり、その下の段に甘茶と御釈迦様の顔にかける柄杓が置いてあった。子供達はみんなお寺に集って、御釈迦様の顔へ甘茶をかけ甘茶を飲んでから、お寺の庭で一緒に少し遊んで家に帰った。甘茶とは6月頃青又は白のアジサイに似た花をつける背の低い落葉樹で、その葉を蒸してもみ、干したものを煎じて飲料にすると甘味をもつため、そう呼ばれた。もともとは中国の古来の伝説で、王者が仁政を行うと天がその祥瑞(あかし)として降らすと言う甘味の甘露になぞらえて甘茶を作って、仏様の顔にかけて甘茶を飲んだのが始まりと言われている。しかし私達は子供だからむずかしい理屈はわからなかったが、甘茶の甘くおいしい味だけが強く印象に残っている。

花祭りと保育園のこどもたち  平成14年4月8日(2002) 龍津寺 拝島町
花祭りと保育園のこどもたち  平成14年4月8日(2002) 龍津寺 拝島町

 

もう一つは十五夜である。旧暦8月15日の夜(新暦では9月上旬~10月上旬)は秋の最中に当るから仲秋ともいい、古来観月の好時節とされ、朝廷につかえる公家達は月下に宴を張り、酒盛りをして詩歌を吟じたと言う。民間では月見団子、芋、枝豆などを盛って神酒を供え芒(すすき)等秋草の花をかざって月を祀った。私達の村では9月15日の夜にどこの家でも細長い縁側があったのでそこへ団子や神酒、すすきなどを飾ってお月見をした。私達子供は近所の幾人かで組んで近所の家をまわり「柿をくんねえ、栗をくんねえ」(ください)などと叫んで歩いて柿や栗や団子などをもらいに歩いた。するとどこの家でも家の人が縁側に出て来て団子や栗などをくれた。それがとても嬉しく今でも良く覚えている。

日本庭園入り口のすすき 平成27年11月(2015) 昭和記念公園 立川市
日本庭園入り口のすすき 平成27年11月(2015) 昭和記念公園 立川市

 

旧暦9月13日の夜は旧暦8月15日の十五夜に対して後に訪れる満月ということで「後の月(のちのつき)」十三夜と呼んだ。この夜も縁側にお供え物を飾って月見をしたと言う。延喜19年(919)醍醐天皇の月の宴に始まり宇田法皇がこの夜の月を無双(ふたつとない優れたもの)と賞したことによるとも言うが、十五夜が中国の中秋節から日本に根付いたものであるのに対し、十三夜は日本固有のものであるようだ。だが私が子供の頃は十三夜と言う言葉は知っていたが実際の行事はやったような記憶はない。ただ明治の天才女流作家樋口一葉の小説に「にごりえ」「たけくらべ」「十三夜」などがあり、私は「にごりえ」と「たけくらべ」は読んだが「十三夜」は読まなかったので内容はよく判らなかったが、後に知った所では明治28年(1895)に発表された小説で、不幸な結婚に悩むお関(おせき)を主人公にして封建的な環境での女の悲劇を精微な筆で描いたものだと言う。小説の師半井(なからい)桃水に恋していたと言われる一葉の想いがこめられていたのかも知れない。又語呂合せで9プラス4は13と言うことで、女性の髪を梳かす櫛を売っている店を昔は十三屋と言ったと言う。

もっとも季節の行事と言えば3月3日の桃の節句や5月5日の端午の節句は古くから盛んだが、これは子供だけの行事と言うより親子で一緒に祝う行事であり、私は自分の事は記憶にほとんど無いが2人の娘をそれぞれ綺麗な着物を着せて氏神様の日吉神社へおまいりにつれていって健やかに育ってくれるようお祈りした記憶ははっきり覚えている。その折、呉服屋をしていた妻の叔母の店でお祝の着物等一切をあつらえ、叔母が持ってきてくれたことも記憶の中にある。また妻と2人で八王子の横山町大横町八日市町と続く甲州街道の繁華街の店へお雛様の飾りを買いに行ったり、娘の長男(孫)に贈る兜を買いに行ったのを記憶している。まだ結婚して間もない頃、1月7日の七草粥に今まで他の野菜を入れていたのを、妻が崖下の田圃のあぜ道へ行って芹となずなを採って来て入れ、食べてとてもおいしかったのも忘れられない思い出である。

2018-06-21 10:42:00

榎本良三のエッセイ