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谷保天満宮と拝島天神のことなど

谷保天満宮と拝島天神のことなど

私の村(現昭島市拝島町)には天神様がある。ちょうど奥多摩街道をはさんで、学校法人啓明学園の入口の反対側に近い所に道があり、その道を少し行くと天神様の入口がある。そんなに広い場所ではないが、入口には門がある。参道を行くと本殿にお参りすることが出来る。本殿の横に大きな樫の木があり、境内を取り囲むようにしてたくさんの梅が植えられていて、春になると紅梅や白梅の花が咲き乱れてとても美しい。戦前には私も見た事があるが、入口近くに大きな欅の木があって、市の天然記念物にも指定されており、幹の太さは、こども7・8人で手をつないでやっとまわりを囲める位だった。しかし下部の大きい割合に木の勢いがなかったので、この木は老木で下部の中は空洞になっているのではないかと噂していた。私は入営して軍隊に入っていて、家に居なかったが、後で聞いた所によればある日天神様の方向で大きな音がしたのでかけつけてみると、その大木が根元から倒れていたという。幸い誰もいなかったのでそのための被害はなかったが、予想通り木の下の方は空洞になっていて、今は高さ30センチくらいの折れて残った木の下の部分が、丸い形で残っている。(昭和15年頃)その時天神様の本殿そのものは安泰であった。拝島の天神様は江戸時代に谷保天満宮から分霊を受けて現在地に祭られたと言われている。

天神様は言うまでもなく醍醐天皇に仕え、右大臣までなったが藤原時平の讒言により大宰府に流され、この地で亡くなった菅原道真を祭った神社である。道真の死後、いろいろな怪異現象が次々と起こったので、これは道真の藤原時平の讒言に対する生前の怨の心が死後に現れたのだろうと人々は考え、京都の北野天満宮へ祭った。又道真を葬ったと言われる九州大宰府の地にも大宰府天満宮が作られた。彼は詩文・書などにすぐれ(菅氏文集ほか)当時の一流の著名な学者でもあったので、北野天満宮や太宰府天満宮は学問の神として信仰を集め、やがて子や孫の学問の上達を願う人々によって広く信仰され、全国にたくさんの天神様が建てられるようになった。

東京都内には有名な神社として湯島天神や亀戸天神がある。私は戦後湯島天神を訪れた事がある。ただ境内には「合格祈願」の額がたくさんかけられていたので道真公も学問の神様だけでなく受験の神様にもなったのかなあと考えたりもした。

合格祈願の絵馬
合格祈願の絵馬

 

梅と本殿 平成11年2月 (1999) 湯島天神
梅と本殿 平成11年2月 (1999) 湯島天神

 

拝島村にある天神様は谷保天満宮から分霊されたものと言われており私は現在立川の老人ホームで暮していて谷保天満宮とも近いので、介護サービス会社「パステル」のかたに同行をお願いして車椅子で谷保天満宮へ連れていってもらった。

谷保天満宮本殿遠望 平成29年11月(2017) 国立市
谷保天満宮本殿遠望 平成29年11月(2017) 国立市

 

行って見ると本殿は多摩川に接する崖の下にあり駐車場は崖の上にあった。駐車場からは本殿に行く石の階段と坂道が見え、それを降りて右へ曲ると本殿が遠く見えた。又崖の上には駐車場の他に天満宮の名前が書かれた大きな石塔と鳥居が造られ、本殿へ降りる石段の上からもはるか下の本殿が見えた。

平成29年11月(2017) 国立市 谷保天満宮
平成29年11月(2017) 国立市 谷保天満宮

 

然し車椅子では石段は降りられないし、坂道も急で降りる事は出来ても帰りに登る時は車椅子では押す人が大変そうに思えたので、しばらく階段の上に立って本殿を遠くからながめていたが結局本殿に参拝することは断念した。知り会いの人の話では坂を降りて左側には天満宮から土地を借りて経営している大きな釣堀があると言うので、天満宮のとなりの釣堀というのは珍らしいと思い、そこへ行けばもしかしたら鯛でも釣れるかも知れないなどと勝手な妄想をしていたので誠に残念であった。

階段上から長い間本殿を眺めているあいだじゅう近くに鶏とカラスが遊んでいて高い声でカーアカアコケッコウと啼いているのが見え隠れしていたので写真にその姿を写そうと思って何回かカメラを向けたが、結局うまくカメラに捉えられず、そのうち鶏やカラスは見失ってしまった。

谷保天満宮の紅葉 平成29年(2017) 11月 国立市
谷保天満宮の紅葉 平成29年(2017) 11月 国立市

 

60年前に谷保天満宮へ行った時にはただ参拝した記憶だけが残っていて、他の事はすっかり忘れてしまっていたので階段の登り降りも、急な坂の登り降りも別に苦痛には感じなかったのであろう。今さらのように94才になった自分の身体の衰えを感じたひとときであった。

2018-11-15 11:14:00

榎本良三のエッセイ