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払沢の滝の事など

払沢の滝の事など

八王子市高月町と昭島市拝島町の間で多摩川に合流する秋川は、多摩川の大きな支流であり私のよく行く川であった。私は夏になると、五日市の駅から檜原行のバスに乗って、荷田子(にたご)の停留場で降り、そこからすぐ下の秋川の遊び場に行き、川遊びの様子を撮影していた。私は60年あまり家事などは何もしないで趣味のカメラに熱中していた。しかし妻は、その事については何も文句も言わずに私の写真道楽を支持してくれた。その点は88才で亡くなった妻にとても感謝している。おかげで私は現在でも続けている写真を5冊の写真集にまとめる事が出来た。私は郵便局長の仕事は一生懸命やったが、家事は何もしなかったので、今になってもっとああしてやれば良かった、こうしてやれば良かったなどと時々考える事があるが後の祭りである。

話を元にもどすと、荷田子からさらに秋川をさかのぼると、東京都では秋川の最奥の村である檜原の村役場の前が昔はバスの終点になっていた。今はその先の払沢(ほっさわ)の滝までバスが行き、「払沢の滝入口」の名前の停留所があるという。昔は村役場のバスの終点から少し歩くと道は2つに分かれる。

左側が秋川本流で、流れは水源地である奥多摩の名峰三頭山のふもとまで達している。右側は川沿いの道になって奥多摩連峰の主峰である大岳山のふもとまで達している。

昭和60年1985
昭和60年1985

 

檜原村役場のバス停から少し歩いて橋を渡って横に入ると大きな滝が目に入って来る。4段で落差が約60メートル位あり、水量の豊富な美しい滝であって前述の様に払沢の滝と言う名前であった。

払沢の滝 平成5年11月(1991) 檜原村
払沢の滝 平成5年11月(1991) 檜原村

 

滝と言えば今迄いろんな滝を見た。そのうち落差のある細長い滝では日光華厳の滝やこの払沢の滝などが印象に残っている。さらに和歌山県にある那智の滝も美しい滝だった。高くはないがナイヤガラの滝の様な幅広い滝では日光の霧降の滝や茨城県の袋田の滝(別名四度の滝)などが思い出深い。

対し、滝を見に出掛けて、見ることができなかった滝がある。

秋川の奥深く三頭山に三頭大滝と呼ばれる大きな滝があると聞いてその近くまで行って旅館に泊ったが、結局滝まで遠くて行きつく事が出来ず、翌日仕事の関係もあり、秋川の源流を歩きながら三頭大滝は見ずに帰って来た事があった。現在では登山ルートやハイキングコースができ、誰でも行きやすくなっているようだ。

平成1年11月(1989) 檜原谷
平成1年11月(1989) 檜原谷

 

また御岳山から日出山に出て五日市に尾根道を行く途中に「七代の滝」があるが滝へ降りる山道から滝をのぞいて見ると、はるかかなたの下の方に見えたのでこれでは滝まで降りても帰りに昇って来られないのではないかと思い、結局滝まで降りるのを断念してしまった事があった。今思って見ると私は若い頃から臆病だったのかなあなどと思ったりしている。

払沢の滝と言えば戦前、昭和のはじめごろまでは母の親戚関係の人々が大勢拝島の家に集って、拝島の河原で遊んだり、奥多摩や秋川へ出掛けたりしたがその際、払沢の滝の事を漢字が似ていたから(旧漢字で払沢を佛沢と書き、佛が旧漢字のドルすなわち「弗」と似ていた)か、読めなかったのか誰かが「ドル($)沢の滝」と呼んでいたのを子供心に面白いと思ったのか、特に良く覚えている。

秋川を三頭山への道と分れて右側へ行くと、大岳山の近くへ行く道があった。その道は崖のような道であったり、山合の道であったりしたが奥に神社があるという話で、途中狛犬があったり神社の門のようなものがあったりした。

平成1年5月(1989) 益沢

 

平成1年5月(1989) 益沢
平成1年5月(1989) 益沢

 

しかし最後に歩いて行くと、そこで数月前落石のため人が死んだという場所があり私も危険を感じてそれ以上行かないで又道を引還しして来たのを覚えている。

註 私の泊った宿はもう東京都ではなく山梨県小菅村であったと記憶している

2019-04-22 11:44:00

榎本良三のエッセイ