鴎(カモメ)や雁(ガン)などはよく小説や歌の題材になっているが、私は鳥について特別な関心を持っているわけではないので、身近な鳥について印象に残っていることは少ない。しかしその少ない中で印象に残っていることを書いて見たいと思っている。
その第一は子供の頃からしょちゅう多摩川へ水遊びに行っていたが、堤防の手前あたりの上空に鳶(トンビ)がいつもぐるぐる廻りながら飛んでいたことである。子供心にも同じ所の上空をぐるぐる廻っているのが不思議だった。しかし何年もたつうちに、いつの間にかその鳶(トンビ)はいなくなり、その後5,60年以上、一度もトンビを見たことがない。恐らく自然環境の変化によって、生存出来なくなったのではないかとも想像されるが、そうとすれば寂しい話である。私の頭の中には幼い頃みたトンビの空をぐるぐるまわる姿が何故か強く焼付いている。
次に印象に残っているのは、私が餓鬼大将の指揮の下で野山をかけめぐっていた頃のことである。そのころたんぼの中の川の縁に、1本だけ大きな桑の木があった。私は餓鬼大将の命令でその桑の木に鳥黐(モチの木の樹皮から作った粘り強いもので、鳥など捕えるのに用いる)をしかけた。翌日行って見ると、予想通り鳥がかかっていて、比較的大きな鳥であった。トリモチから抜け出せないでバタバタやっていた。その時の餓鬼大将の嬉しそうな顔はいまだに忘れられない。もちろん、私もとても嬉しかった。その鳥は餓鬼大将が捕えて持って帰ったように記憶しているが、その鳥が何という鳥だったのか、それからその鳥をどうしたかなどは残念ながらよく覚えていない。
餓鬼大将だった子供と私は、その後拝島第一小学校の校庭でとっくみ合いの喧嘩をして、敗けて長い間校庭で横になっていた事もあったが、その相手が誰であったかは今でもはっきりしない。子供の喧嘩とはそんな程度のもので後に恨みを残すようなものではないのかも知れない。
撮影日不明 多摩川土手 昭島市
第三は、鳥は鳥でも大きな卵を生む鶏の事である。レグホンとも呼ばれ広く飼われていた。隣接している本家では、村の名家の若い当主として青年団長などをつとめ活躍していた先々代が、家業の種屋や撚糸業、農業など手広く営んでいたが、若くして病に倒れ長い間闘病の末亡くなった。隣の福生市から嫁に来た人が一人になって、子供を育てながら養鶏業も営み、たくさんの鶏をかって、その卵を売って一家をささえていた。その鶏小屋が私の家に隣接していたので、私はコケッコーと言う鶏の声を毎日聞きながら育った。私は全身が白色でくちばしの下に赤色なものがぶらさがっていて温和な性格の鶏が好きだった。私の家も敷地が広いので、何羽か放し飼いにして、卵を生ませたいと何回も考えたが、家の窓からよく外を見ると、猫が家と家の境のコンクリートの塀の上をしょっちゅう歩いているので、放し飼いにしたら猫に食われてしまうと思って結局断念した。
昭和63年1月 (1988) 釜ヶ淵公園 青梅市
最後の二つは鳥に関するいやな思い出である。
一つはまだ家が郵便局の局舎とつながっていた数十年前の話だが、その頃家の玄関の前に桃の木があった。老木で5月頃花は咲いてもなかなか実はならなかったが、やっと一つ赤い実がなった。実もだんだん大きくなったので明日にも収穫して実を食べようと思って寝た。ところが朝起きて桃の実を食べようとして玄関を開けたら、その桃の実はすっかり鳥に食べられて少ししか残っていなかった。その時程がっかりしたことはない。
それからかなりたってから、前の家から同一敷地内の別の場所に建てた家の前に1本の柿の木が植えられてあり、秋になると柿の実がたくさんなって家中でよく食べた。その柿の木はだんだん木が大きくなって私達の手の届かない所にもたくさん実がなっていたが、その実はいろんな鳥が来てみんな食べてしまった。しかし私達も下の方の柿の実を充分食べたので、私達の手の届かない高い所を鳥が食べるのを楽しく見ていた。その時は鳥と人がうまく住分けていると思った。今西錦司博士の有名な住分(すみわけ)理論とはこの事かなと思ったりした。
二つめは鴉(カラス)に関する思い出である。人間の近くに住んでいる鳥の中では、カラスはたいてい悪者にされることが多いが、私の印象も例外ではない。やはり50年位前の事だったろうか、その頃、家庭から出たゴミは袋に入れて何日かに一度、朝、道路ぞいの家の前に出し、それを市の回収車が来てそのゴミを次々と回収して行く仕組みであった。ある朝早く私は袋に入れたゴミを出してから1時間程経って、そのゴミが回収されたかどうかを、見に行ってみた。すると、敷地の前の方に建っている郵便局の屋根の上に数羽の鴉(カラス)がとまっており、家庭用のゴミ袋はズタズタにされてゴミが地面一杯に散乱していた。私はカラスを見てこの野郎と思ったが時すでに遅かった。
平成28年11月 (2016) 昭和記念公園日本庭園 立川市
それから毎年のことなので忘れていたが、梅の咲く頃になると家の裏に1本植えてあった大きな梅の木にウグイスが必ずやって来て、ホーホケキョウと聞きほれるような美しい声でないていた。ただその時期は3月末か4月始めぐらいで、一般にウグイスが鳴くといわれている時期より少し遅いようだったと記憶している。
2019-07-08 12:04:00
榎本良三のエッセイ