昭島の多摩川の河原で、鯨の骨格のはっきりしている化石を発見したのは、私が昭島市の文化財保護審議会委員をしていた時の同僚の、田島政人さんであった。この鯨は「昭島鯨アキシマクジラ」と名付けられた。この事は当時の新聞の三多摩版で大きく報道され、大勢の見物客が訪れ、市では毎日職員を派遣してこの鯨の化石が盗まれたり破壊されたりしないようにした。
その後、国立(くにたち)音楽大学のA教授と理化学研究所のB研究員の鑑定によってその化石は500万年前のものと鑑定され、いわゆる古東京湾が現在より広かったと言う仮説から、昭島は当時海中にあった事が実証された。
当時五日市でいろいろな貝の化石が発見されていて、古東京湾の仮説、つまり東京湾は現在よりも広かったとの説の信頼性は高まっていたがこの鯨の発見により昭島市も海中にあった事が実証された。
田島政人氏は当時市内の小学校の先生をしておられたが、生物学や考古学にも興味をもっておられ、よく多摩川の岸辺に観察に来られ、たまたま当時6歳の息子さんをつれて多摩川べりに来られた際に発見されたのである。
この発見は昭島市にとっても大きな意味をもつものとなった。当時政府により町村合併が全国的に行われ、東京では都の勧告により昭和町と拝島村が合併して昭和の昭と拝島の島をとって新市が「昭島市」と名付けられた。しかし合併してから日が浅く、昭島の名前は一般にはよく知られていなかったが、このアキシマクジラの発見により昭島市の名前が広く知られるようになったからである。
クジラ祭りの行進 昭和55年8月 (1980)
昭島くじら発見記念碑 昭和62年5月
昭島市はこの発見を記念して公園に記念碑を建てたり、市や商工会が先導して「鯨祭り」が始められた。祭りは昭島駅の道を出て街道とぶつかる所から初められ、大きなプラスティックで作られた鯨を先頭に、市内のいろいろな団体や人々が行進して市の東部にある競技場で市内各町の御輿や太鼓をはじめ歌や踊りなど、色々な催しが終日行われた。拝島の屋台も勿論参加した。拝島の屋台のお囃子は上宿が「十松囃子」、中宿が「神田囃子」、下宿が「目黒囃子」とそれぞれ異る流派の御囃子であった。
今まで昭島市の拝島地区では榊祭が盛大に行われ、特に深夜の榊巡行と翌日の神輿巡行が盛大に行われていて、東京都の文化財にも指定されていたが参加者は原則として村民(町民)に限られていた。また、中神村の熊野神社のお祭りもあったが、この祭りも参加者は同様であって全市を通じてのお祭りとは言い難かった。
鯨祭りが始まって初めて、昭島市全体のお祭りが実現した。私は日吉神社の氏子総代を長く勤めて、それに専念していたので鯨祭りのことはよく知らなかったが、各町内の神輿や太鼓も年を追うごとに整備され、立派な祭に成長したようである。戦後一時、祭りをはじめさまざまな伝統的行事がなくなったが、おちつくにつれて復活した。ただし昭島鯨の出土した時代について、地質学の進歩によって500万年前の化石が300万年前と訂正された。この200万年の差が出た事によって昭島鯨の出土した時代に、昭島が海で、古東京湾の一部であった事に疑問を抱く人もいるようになった。昭島鯨はそのへんの事情もあって鯨祭りは相変らず盛大に行われているが、昔ほど注目されないようになった。
昭島鯨の化石は国立科学博物館の分館で調査、保管後、平成24年から群馬県立自然史博物館に保管されているが、巨大なものなのであまり見る機会がない。
アキシマクジラが報告された2018年の論文
このクジラは群馬県立自然史博物館の学芸員の木村敏之さんらが日本古生物学会誌(Paleontological Research)2018年1月、英文の論文を発表し、エンシス(Eschrichtius akishimaensisエスクリクティウス・アキシマ)の学名で正式にコクジラ属の新種と認定され、科学の進歩により160万年前のものとわかった。
八高線の拝島駅から八王子行きの多摩川を渡る鉄橋のすぐ下の所には、アキシマクジラの発見場所があり、私は文化財保護審議会委員として何回も見物客を案内して説明した。
平成8年11月 (1996)昭島市
たまたま終戦直後、中国大陸から、復員してきた人々が故郷に帰る途中、まだ電化されていなかった八高線に乗った所と同じ鉄橋の上で、列車の最後部分の車輌が脱線して橋下に転落し、大勢の死傷者を出した事があった。見学者の質問もあり、同じ橋下でここの何番目の橋脚の下が鯨の発見された場所で、何番目の橋脚の下が列車が転落した場所だ、などと説明していたが戦後70年もたった現在では、その何番目かもよく覚えていない。
田島政人さんは親切な人で、私が多摩川の水が減少したためかよく解らないが、河原に咲いていた「河原撫子」や「月見草」などがなくなってしまったと言う話をすると、わざわざ月見草の黄色い花を送ってくれた。それについて私は田島さんに御礼の言葉一つ言わなかった事を、いまだに後悔している。
2019-11-06 12:20:00
榎本良三のエッセイ