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大相撲地方巡業の立飛場所を見て

大相撲地方巡業の立飛場所を見て

平成30年8月(2018)、ホームの行事で大相撲の地方巡業の立飛場所を見に行く行事があった。私は相撲が好きでテレビでは毎場所見ていたが、実際に見に行った事が無かったので、いいチャンスだと思ってさっそく申し込んだ。その日が来るのを心待ちにしていたが、とうとうその日が来た。その日は午前10時頃ヘルパーさんが付き添ってホームの車で出発し、10時20分頃目的地の立飛アリーナについた。中に入って見ると、そこには四方に観客席があり、1階には我々障害者でも行けるよう、2台のエレベーターがあった。施設の中央には広い広場があり、そこではコンサート、踊りの会、尺八の演奏会や体操をはじめ各種の屋内スポーツイベントなどを開く事が出来るようになっていた。観客席には恐らく3000人位は収容出来るのではないかと思われる位の席があった。私達の席は2階のいちばん高い所にあったが、最前列で、いちばんよく全体を見渡す事が出来る場所だった。だから私達は、相撲の雰囲気にたっぷり浸る事が出来、とても嬉しかった。

大相撲地方巡業立飛場所 平成30年8月(2018) 立飛アリーナ
大相撲地方巡業立飛場所 平成30年8月(2018) 立飛アリーナ

 

相撲場の入口近くにも連れて行って頂き、力士達の姿を身近に見る事が出来た。

大相撲地方巡業立飛場所 平成30年8月(2018) 立飛アリーナ

 

大相撲地方巡業立飛場所 平成30年8月(2018) 立飛アリーナ
大相撲地方巡業立飛場所 平成30年8月(2018) 立飛アリーナ

 

ただ取組が始まってしばらく経ってから、私はある事に気がついた。私は眼が悪くて、ホームのカラオケ教室などでは後部座席からはスクリーンの文字が良く見えないので、そのような時は常に一番前の座席に座らせて頂いていた。白内障のため矯正視力でも、右0.2、左0.3だった。だから少し遠くから見る今回の相撲見物は、当然双眼鏡のようなものを持って行くべきだったのに、それを忘れていた。従って横綱の土俵入り、三役揃い踏み、力士の取組等はだいたい解ったが、力士の顔までは良く解らなかった。そこで当日持参したカメラの望遠機能で力士達を一生懸命に見た。

大相撲地方巡業立飛場所 平成30年8月(2018) 立飛アリーナ
大相撲地方巡業立飛場所 平成30年8月(2018) 立飛アリーナ

 

そのカメラはデジタルカメラで、初め私は不器用なので今までフイルムカメラは使えてもデジタルカメラは使えないと思いこんでいた。ところがこの老人ホームに入る頃に、次女のつれあいが小さいデジタルカメラを自由に使いこなしているのを見て、無性にデジタルカメラが欲しくなった。そこで私は彼に頼んで、なかば強引にそのカメラを無償でゆずってもらった。予想した通りそのデジタルカメラは望遠レンズが無くとも望遠機能もついており、とても使いやすかった。おかげで眼とカメラの両方を使って大相撲の地方巡業の立飛場所をとても楽しく午后3時の終了まで見ることが出来た。その間ホームのスタッフに大変よく面倒を見て頂いた事は心から心から御礼申上げる。

とりわけホーム長さんは、私のそばに時々来て頂き、昼のお弁当も持って来て頂いた。私は3年前の92才の頃からトイレが近くなったので当日も紙パンツを使っていたが、相撲が終るまで時間が長かったので、紙パンツだけでなくズボンまでも汚してしまったが、ケアマネージャーさんがホームの私の部屋までついて来てくださってトイレで汚れたものを全部着替させてくださった。

大相撲を見ていた時、すぐ近くでカメラを操作していた人も見受けられたので、あの大相撲のNHKの中継のテレビ放送もあのようにしてやるのかなあと思った。時間は長かったが久し振りに充実した一日だった。自分で撮った中に1枚くらいいい写真があるのではないかと期待している。立川飛行機と言えば私達にとってとてもなつかしい名前である。戦時中は陸軍の軍事基地になっていて、その一角に立川飛行機があり、飛行機を生産していた。戦争が終ると同時に立川基地は米軍に接収され、飛行機の製造は禁止された。立川飛行機は主に不動産業となり一部の技術者は自動車産業に移ったようである。

2019-12-12 12:26:00

榎本良三のエッセイ