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小金井の花見

小金井の花見

平成30年4月3日(2018)私は介護サービスの「たすけあいワーカーズパステル」のかたに車椅子に乗せてもらって小金井公園に花見に出掛けた。昔から私は小金井の桜に憧れていたので、今年の花見は小金井と決めていた。国立駅前から直線につづく見事な桜は何回も見ていたので、今度は別の所へ行って見ようと思っていた。往復には私は94才で足も悪いのでタクシーを頼んだ。

60年位前に、私は今回行ったのと反対側の、根川の川辺の道を通って小金井公園へ行った事がある。考えていたより広い公園で、その時写した写真は私のまとめた5冊の写真集の中の1冊に1枚だけ納められている。その時はまだ公園に桜は植えてなかった。小金井公園の桜が植えられたのは、小金井資料館の桜守りと言われている人の話では、60年程前だと言う話だから、私が60年位前にここを訪ねた直後あたりの事だろうと思っている。

五日市街道から左へ曲るとすぐ小金井公園で、正面には「江戸東京たてもの園」と呼ばれている宮殿のような立派な建物が見えた。あちこちから古い建物を移築したと言われている。

その建物は通路の一番奥にあり、その建物の前に、入口から通路の両側に満開の桜が咲き乱れていて、通路の前の方は公園の中をぐるり一周出来るようになっていた。私は車椅子を押してもらって満開の桜を思う存分楽しんだ。

小金井公園 2018年4月
小金井公園 2018年4月

 

今年は気温が高かったため、桜の開花は例年より少し早く、満開ではあるが少し散り始めた所もあり、花吹雪が体に降り注いで花びらで地面が一杯になっていたが、花は「染井吉野(ソメイヨシノ)」が大部分のようだった。

小金井公園 2018年4月
小金井公園 2018年4月
小金井公園 2018年4月

桜には色々な種類があるが、私は平凡のようだがやはり染井吉野と、野原に山を背景に1本だけ咲いているしだれ桜の大木が一番好きである。

小金井公園 2018年4月
小金井公園 2018年4月

 

タクシーの往復には行きも帰りも玉川上水にそった道を通った。私が憧れていたのは「小金井堤の桜」といって多分、玉川上水にそって植えられた桜の事であろう。

事前に桜守の人から聞いて小金井公園で咲いている桜が一番美しいと言うのでそちらを優先したが、往復に通った小金井堤の桜もタクシーの中から見ただけだが所々に美しい花を咲かせていた。

何でも玉川上水の両側の桜は咲く季節が異なる色々な種類の桜が植えられているという話を聞いているので、あるいはその関係かも知れない。小金井堤の桜は小金井公園の桜より古く、明治初期に植えられたものと言われている。

次に来る機会には、玉川上水沿いの道を、桜の咲いている季節に見たいと思っている。

富士と桜は日本国の象徴と呼ばれている。例えば梅は中国が原産地と言われており、他の多くの花が原産地を他の国にもっているが、桜(とくに染井吉野)だけは日本古来の花と言われ、美しく咲いてはかなく散って行くところから「武士道の真髄」とも比較されている。

したがって桜は、古来多くの人々によって、歌に歌われている。私はその方面の知識にうといのが残念だが、俳句としては、桜の美しさを奈良の美しさに例えた芭蕉の句「奈良七重七堂伽藍八重桜」が有名である。和歌では、天智天皇が大化の改新によって開いた琵琶湖の近くの大津宮が、その子供大友皇子(弘文天皇)が壬申の乱による天武天皇との皇位継承の争いに敗れて、都も明日香に移され荒廃しているのを見た平家の頭領の平忠度が、源氏との戦いに敗れて一ノ谷へ向う途中、友人の歌人に託した歌「さざなみの志賀の都は荒れにしを 昔ながらの山桜かな」などが知られている。

戦時中にも「おまえと俺とは同期の桜」などと言う歌が流行した。唱歌の「さくらさくら」を始め、数えきれないほどたくさんの歌があり、私の知らない桜に関するさまざまな事がたくさんあると思う。私も今年、入居しているホームのおやつに「桜餅」をいただいたばかりである。またカラオケ教室を指導して下さる先生は「櫻子」さんというお名前である。先生は11月生れで、名前は櫻子だが11月生れで秋であり、生れた時は桜と縁がないと嘆いておられたので、私が先生秋桜と書いてコスモスと読むので秋にも縁がありますよ、と言ってあげた。

2020-02-05 17:30:00

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