坂本龍之輔は、妻の母の実家の出身であったそうで、その名は知っていたが詳しくは知らなかった。彼は明治中期に活躍した教育者で、小学校の教育こそは人間形成の基本である、と確信して情熱をそそぎ、転勤した下谷区の小学校で、都内でも多数のこどもが奉公に出されたり、子守りや手伝いをさせられ、貧しくて学校に行けないでいることを知って、貧民学校の設立に取りくみ、「東京市万年尋常小学校」初代校長となった。彼は、昭和17年(1942)3月、73才で生涯をとじたが、この顕彰碑が下谷万年尋常小学校の教え子有志によって建てられ、教え子である添田知道が龍之輔をモデルにした小説「教育者」を書いた。私が50~60年前に見たのはこの碑であったが、雑木林の中に雑草におおわれて、訪れる人もなく建っていた。私は、少し前に訪れた、明治の小説家で「武蔵野」の著者「國木田独歩」の記念碑が玉川上水の三鷹と武蔵野市の境の所にあって、やはり夏草に覆われていたのを思い出して少し寂しい気がした。
註 記憶では梅林だったと思うが、現在秋留駅の近くは桜の名所がたくさんあるようで、梅ではなく桜であったのか定かでない。