以前書いた通り、府中は昔の武蔵の国の首都であるから、現在でも色々なものがある。たとえば新田義貞が群馬より兵を起して、この合戦で勝利し、そのまま一気に稲村ヶ崎から鎌倉幕府のある鎌倉に攻め入り、鎌倉幕府を倒し後醍醐天皇と共に建武の中興をなしとげた、有名な府中分倍河原の古戦場を始め、府中国府跡、大國魂神社などがある。後醍醐天皇はその後、公家の世から武士の世に変っていた政治を、再び公家の世にもどそうとしたので、武家の統領だった足利尊氏の反発を招き、後醍醐天皇の南朝と北朝とが対立する南北朝対立が続いた。 最終的に南朝が北朝に併合されて、足利尊氏らを中とした室町幕府が成立し、武士の世は続くのである。
これらは、江戸時代から長い時間をかけて編纂し明治になって完成した水戸藩徳川光圀の大著「大日本史」に細かく記されている。世間では徳川光圀というと、水戸黄門さまといって、全国をまわって善を勧め悪を正す「水戸黄門漫遊記」が講談・浪花節などで広く語られて有名だが、実際は水戸光圀の大著「大日本史」の中で南北朝のどちらが正統かなどを広く論じたことが幕末の尊皇攘夷論などに大きな影響を及ぼし、明治維新の原動力となった事は言うまでもない。