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どんどん焼

どんどん焼

坂本謙郎

どんどん焼とは古くからもんじゃ焼き風の食べ物に使うことばだったが、ここでの話は所謂“だるま焼”のことである。 我々の田舎では新年に購入した片目のだるまを神棚に上げてその年の末に一年無事で過ごせたことを感謝して両目を入れて感謝を込めて焼き、新たなだるまを買い求める。どんどん焼は年末までに集めた両目を入れただるまを、大きな木の枝につるして、太い木の周りには燃えやすい松の木とか枝を束ね、正月明けに火をつけて燃やし、残り火で繭玉(いろいろな枝に繭の形に丸めた団子、餅などを数多くつけたもの)を焼くことが主な行事であった。

その際に、我々が小学校に通っていた頃は、どんどん焼の塔を作る役割は六年生と五年生だけが担い、子供たちの力だけで作り上げた。次の年は旧5年生が6年生として同じように繰り返した。誰が何をするかは自然と決まっていた。5年生は6年生の動きから自然と順序、方法、だるまの集め方を学んだ。今考えると、不思議なほど自然に出来ていたように思う。今のように親がつきまとってとやかく言うことは全く無かった。また火事とか危険についてとやかく言われた覚えはなかった。現代は事情が違うにしてももう少し子供の自主性に任せられないかと思う。 どんどん焼のもう一つの形式は青梅市で行われている方式で、神社の境内の中で町の人が持ってきただるまを、ドラム缶のような入れものに火を焚き、その中でだるまを焼く方式で、焼いてもらった人々はその横にあるだるま市で新品を購入する。誠に合理的であるが、野趣は不足して居るように思う。しかし場所の都合上やむを得ないことなのだろう。

羽村のどんどん焼き2012.1

それにしてもだるまを購入する人が段々に少なくなっていると聞くが、だるま自身の存在価値が薄れている世の中ではやむを得ないのかもしれない。

2020-09-02 10:30:10

坂本謙郎のエッセイ   |  コメント(0)

 

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