その際に、我々が小学校に通っていた頃は、どんどん焼の塔を作る役割は六年生と五年生だけが担い、子供たちの力だけで作り上げた。次の年は旧5年生が6年生として同じように繰り返した。誰が何をするかは自然と決まっていた。5年生は6年生の動きから自然と順序、方法、だるまの集め方を学んだ。今考えると、不思議なほど自然に出来ていたように思う。今のように親がつきまとってとやかく言うことは全く無かった。また火事とか危険についてとやかく言われた覚えはなかった。現代は事情が違うにしてももう少し子供の自主性に任せられないかと思う。 どんどん焼のもう一つの形式は青梅市で行われている方式で、神社の境内の中で町の人が持ってきただるまを、ドラム缶のような入れものに火を焚き、その中でだるまを焼く方式で、焼いてもらった人々はその横にあるだるま市で新品を購入する。誠に合理的であるが、野趣は不足して居るように思う。しかし場所の都合上やむを得ないことなのだろう。