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偶然のいたずら

偶然のいたずら

坂本謙郎

 長い間生きているといろいろ偶然の出来事に出あうが、数学的に考えても殆ど起きえないと思われるハプニングがある。その中で特別印象に残っていることを紹介してみたい。

 旅での再会 (1

 ポルトガルのグループツアーに参加したときのことである。
この旅は南北に長いポルトガルを一周したうえで、更に1000キロ以上離れた大西洋に浮かぶマデイラ島にも行くという、あまり催行されないツアーだった。ほぼ20日の旅を終えて帰国する前日の夕方、最後の晩餐でホテルから離れたレストランに行くことになったので、数人ずつタクシーに分乗した。それぞれのタクシー運転手にホテルの従業員が行き先を告げて、間違いないように配慮した。ところがいつも一緒の女性4人組が、待てど暮らせどレストランに到着しないので大騒ぎになった。そのころのポルトガルは治安が良くなかったので、皆がいろいろな憶測をした。一時間以上待っても到着しないので、グループのうち数人ずつその場で荷物を監視する役、事態を警察に届ける役、ホテルに連絡する役とに分けて大騒ぎしていたところへ、30分くらいしたら4人組がタクシーでホテルに戻って来た。彼女たちは変なところで降ろされたので、一旦ホテルに戻って来たとのこと、皆もやっと安心した。しかし、レストランの予約時間はとうに過ぎていたので、改めて他のレストランを探して間に合わせた。その4人組はとても印象に残るような恰好をしていた。
 それから数年後、ヨーロッパの旅でイタリアへ行ってシェナで一休みしていた時、何気なくどこかで見かけたような人たちだと思って近寄ってみたら、同じツアーの反対周りに参加していたまさにポルトガルで会った女性4人組だった。相変わらずの出で立ちで相変わらずの4人組で、再度こんな場所で再会するなんて驚きだった。
 確率からすると、ある国に違う旅行社のツアーで違うルートで行って、同じ場所で同じ時間に、偶然出会う確率は1000万分の1くらいであろう。しかも私がそのほうを見て気が付かなければ,遭えなかった。そんな機会が思い出す限りで4回はある。

 日本国内ならいざ知らず、海外でそんなに出会うなんて今でも不思議だ。狭い日本ならもっと起きてよいはずなのだが。

旅での再会 (2

 私たちの時代は、旧制高校では英語はほとんど教えられずドイツ語ばかりで、ドイツ語の先生はドイツ人を含めて4人もいた。いやいやながらやったので上達はしなかったが、今考えると大変惜しいことをしたと思う。なかでも日本人の先生の一人から、今では殆どの人が知らないドイツ語の古語の筆記体を教えられた。宿題に古典文学を書かされ、添削を受けた。ドイツ語の文法の本を書いた先生だった。
 4人ともドイツ語の先生らしく、変わった性格だったが、みな格調の高い先生方で、二中記事(エッセイ:府立二中の思い出 その1)で書いた倉田先生に似ていた。
 戦時の最期に近いときは石炭が悪いせいか、勾配が余りない坂でもスピードが落ちてきて、時々駅の手前でひそかに飛び降りたこともある。
 会社を辞めてからスペイン語を習うことにした。物凄くまじめな女性の先生で、正しいスペイン語しか教えなかった。5年ばかり勉強したある夏、先生の都合で、夏休みが2か月あったので、お互いに休みが終わったらまた会いましょう、と生徒同士皆で挨拶して別れた。その後スペインに旅行したその旅の途中で、見たことのある女性がトイレの前に立っていた。なんと、数日まえに別れたばかりのスペイン語教室の女性だった。どうしてそこにいるかを尋ねたところ、旦那さんを待っているとのこと、しかも旅行社は同じだったが、その旅は人気で満席だったので、同じツアーの反対周りの旅のグループで来たのだと分かった。良く考えてみると、旅のまん真ん中でないと会えないところで、一瞬でも違ったら全く会えないはずであり、その瞬間は本当に稀である。数分ずれていたら完全に会えない筈で、前述の再会(1よりももっと確率が低い筈であろう。今でも不思議に思っている。

2021-07-26 12:08:53

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